11月に読んだ本(6冊)

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論

この本は面白かった。意識は、単に世界を認識するニューロンが無数にあるだけでは成立せず、その「統合」があってこそ、生じる。明るさを認識するだけであれば、フォトダイオードでもできることだが、人は明るさの認識をその他の無数の潜在的可能性を排した上で行う。その潜在的可能性は統合によって与えられ、そこにどうやら意識の発生の根幹がある。

ところで、多分普通の人は「動物に意識があるか」ということを真面目に考えたことはないと思うし、それを考えるということがどういうことか、わからないと思う。わたしもわからなかった。もちろん、飼いイヌやネコには意識や、あるいは人格さえあり、あるいはイルカにもあるような気がするーー程度には思う。でもそういう、人との関わり・親しみとは離れたところで、意識がありうるだろうか、といわれても、困ってしまう。

しかしこの本を読むと、その意識の有無、というよりは意識の「程度」の存在について説得されてしまう。もちろん、「コウモリであるとはどのようなことか」(トマス・ネーゲル)が分かることはない。でも、意識は、デカルト的に人間だけに限定されるわけでもなければ、モンテーニュ的に1つの細胞にさえ認められるのでもなく、その中間的な、程度の問題としてーー統合の程度に応じてーー世界に分布しているのでないか。そんな風に思わされてしまう。

まさかそんな若干の世界認識の変更を与えてくれるなんて思いもしない(別にそこがこの本の主題ではないのだけれど)。

というわけで、この本はスリリングでとても良い本だ。文章もリーダブルで、意識が話題だからといって、こんがらがった哲学が展開されるわけでもない。明快なモデルが散文的に議論される。その上、分厚くもない。

経済学講義 (ちくま新書1276)

経済学講義 (ちくま新書1276)

マクロ経済学は入門でも分からないなと改めて。

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

雑多な本。

コンピューターで「脳」がつくれるか

コンピューターで「脳」がつくれるか

機械学習とか、ディープラーニングとかのバズワードからの興味で読んだので、存外「脳」の説明が主体を占める構成が面白かった。小脳を教師あり学習に、大脳基底核を教科学習、大脳新皮質を教師なし学習に対応付けて説明するのも勉強になりました。

アイ・ウェイウェイは語る

アイ・ウェイウェイは語る

アイ・ウェイウェイ氏のインタビュー集。

われわれ世代は過去の感覚を、鉄のカーテン共産主義闘争の時代だった過去の感覚をもっている。それは過酷な政治闘争だったーーヒューマニズム個人主義に対する闘いであり、中国産のものでなければどんなものでもきびしい検閲体制があったのだよ。今日の北朝鮮よりもさらに厳重だった。朗読できる唯一の詩は毛主席のものだけだったね。どの教室でも、どの新聞でも、私たちは毛主席について読まされた。彼の言葉、彼のイメージ。しかし私たち誰もがもっと前に起こったこと、1920年代や1930年代に起こったことについては知っていた。両親が新しい中国のために、民主主義と科学の近代中国のために闘ったことを知っていた。そしてとつぜん、1970年代の終わりから1980年代初めにかけて、歴史のこの部分について再考する機会が彼らにめぐってきた。私たちは理解し始めた、中国の悲劇を引き起こしたのが自由の欠如、表現する自由の欠如だということが分かったんだ。そこで若者のグループは詩を書きはじめ、雑誌を作って、民主主義的な物の考え方を取り入れた。私たちは完遂するべく自重しながら、ほんとうに自覚的に行動しはじめたーー個人の自由のための闘いを始めたのだ。

まるで春が来たようだった。誰もが、自分の持っている、どんな本でも読もうとした。コピー機などないから、1冊まるほど手書きで写して、それを友人に送るんだよ。ほんとうに限られた量の「滋養」と情報しかなかったが、芸術に対するこれほどの努力とこれほどの情熱、それにラディカルな政治思考があってこそ、それが手渡された。あれが、私たちの民主主義の正真正銘、最初の瞬間だった。(pp.128-9)

質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学 (有斐閣ストゥディア)

質的社会調査の方法 -- 他者の合理性の理解社会学 (有斐閣ストゥディア)

ブックガイドとして、いつか再訪しようかと。