Kindleを買った

通勤電車で英語を読むために。

画面遷移で一瞬画面が黒くなることがある、のは慣れが必要だが、そう頻繁にページをめくることもない(英語なので)。

今日の朝は、Kindleがまだ手元になかったので、仕方なしにキャス・サンスティーンの『選択しないという選択』を読んでいた。これ、理解するには3度読む必要があるが、やっぱり、この手のことーー自由、選択、意志(の限界)、パターナリズム等々ーーが、自分の興味なんだなと再確認。例えば、このエスター・デュフロからの引用は自分の興味にとって本当にクルーシャルなものだ。

われわれはきわめて元いつな意味で貧しい人々を見下す傾向がある。「彼らはなぜもっと自分の生活に責任を持たないのか?」と考えがちである。われわれは忘れているが、人は裕福であればあるほど、何もかも人に面倒を見てもらえるので、自分の生活の責任を負う必要がなくなるのだ。また貧しければそれだけ、自分の生活のすべてに責任を持たなければならない。……人が責任を負わないことを責めるのはやめて、われわれみなが手にしているぜいたくを貧しい人々にも提供する方法を考えようではないか。そのぜいたくとは、われわれのために数多くの判断がなされているということである。われわれは何もしなくても道を外れることはない。貧しい人の大半は、何もしなければ道を外れてしまうのだ

もちろん、贅沢なはずの環境で育ったわたしは道を外れた、のではあるが。しかし外れたからこそ、本書でいうデフォルト・ルール(いわゆる「レール」)の位置を、考えることにもなる。

選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち

選択しないという選択: ビッグデータで変わる「自由」のかたち