バイト日記(2)

バイト日記(1)に続いて。

2018-03-26

台車をガラガラと押す。在宅だったり不在だったりし、桜の満開の川沿いで昼食を取る。ホッファーを読む。人は凝集的な共同体に帰属している限りで、自由やその困難と対面せずに済み、それゆえに、"Mass Movement" への免疫を持つ、という話をホッファーはする。桜との対照で痛くシュールな感じがする。疲れていたので、ツナマヨのおにぎりがしみる。

プロテインを飲んで寝る。

2018-03-28

昨日は疲れすぎて日記を書けなかった。で、今日。足は痛むけれどロキソニンで何とかして、出発。

今日も平穏に台車を押したり、階段を登ったりし、つくづく健康的な仕事だなと思う。公園の木陰で食べる飯も美味い。桜は満開で、子どもを連れた母親がやってきて、何やらその子と桜のセットの写真を撮る。撮って、去る。とても目的志向の滞在。でも、公園にやって来る親子って基本的にはあまりそういう具体的な何かってのはなく、子どもは単に滑り台をするんと降り、その母親はスマホを眺めたり、あるいは何もしていない。もちろん子どもに注意は届いているけれど、ともかく何も(たぶん)。その固有に、かつ共通に途方に暮れた感じが、なぜだか印象的だったりもする。

ここでの「途方に暮れた」は、保坂和志の『途方に暮れて、人生論』から借りている。

途方に暮れて、人生論

途方に暮れて、人生論

2018-03-29

仕事は平穏に終わる。母の病状は見るからに悪化しているように思われる。まだ、確定的な診断はじつは下っていない。が、どんな診断であれ、起こっているのはかなりの異変ではある。箸が満足に使えなくなってしまうのだから。現状はまだ、身体機能の劇的な低下だけで、認知機能にはそれほど何かがあるわけでない。が、今後どうなるのか。

わたしには昔の、最近までの母のイメージが「期待」としてあって、それを劇的に下回られると、どうリアクションしたら良いのかわからない所がある。母自身にもそういう感じはある。今まで当然にできたことができなくなるショックと気まずさ。

2018-03-30

室内用の「ブランコ」が荷物にあった。届けたらそこの子が「やった、ブランコだ!」と、とても喜んでいた。「サンタクロース」って楽しい仕事だろうな、と思った。


引き続いて母のこと。今日はじめて、母が緑内障を患っていたことを知った。聞いてないよ、そんなの。いつの間にか部分入れ歯になっていることも、去年末に初めて知ったことだし。こういった寂しいニュースは処理が難しい。

それにしても、長年かかっていた眼科に緑内障を見逃され続け、やはり長年かかっていた整形外科にパーキンソン病(的な病状)を見逃され続けーーいかに人間(医者)の「診断」なるものが当てにならないものかと思う。

その眼科にはわたしにも行ったことがあり、その先生は、会えば誰でも好感をもってしまうような人ではあった。だから私は昔、冗談めかして母に、「あの先生みたいに人好きのする、でも実際には無能な医者のほうが、人好きはしないが実際に能力はある医者よりも、遥かに客が多い上に、その内実など見分けられない客から「良い医者だ」と誤って評価されるだろう」と言ったことがあった。もちろんその医者のことを実際に無能だと思っていたわけでない。一般論としてそういうことってあるだろう、というだけ。だが結果からすれば、実際に無能だったようだ。

人工知能(ディープ・ラーニング)による判断のほうが、人間より安定的に正確なら、それに切り替えない理由はないよ。