読書、コード、トレーニング(1)

レーニン

Amazonで「とびなわ」を買った。

アシックス(asics) クリアートビナワ ネイビー 91-130

アシックス(asics) クリアートビナワ ネイビー 91-130

公園でやってみることにした。アラームを「7分」にセットし始める。が、「45秒」で心肺機能的に限界。縄跳びとはこれほどきつい運動だったのだ。それから公園のランニングコースを一周し、もう一度跳んでみる。今度もやはりキツイ。が、跳ぶコツを思い出すというか上手になっている。でも、1分持たない。疲れるのは意外にも足でなく、腕の方だった。

公園のアスレチックでは、子供(幼児)が登ったり跳んだりしている。日々急激に変わっていく自己の身体と世界とを適切にすり合わせるには、あんなふうに身体を動かし、その応答を観測し続ける必要があり、またそれが「快楽」としてセットされてなければならないんだろう。ーーとか思う大人(中年)たる私には、既に変化する身体も世界もなく、それは安定しきっており、言い換えれば死んでいる。だから人はある日、トレーニングなどを始めたりする。世界が身体の関数で、それが退屈に死にきっているのなら、それを再び生かすのは人為的な身体の変更=トレーニングだ。

と、よく分からないことを帰り道に思う。

帰ってハーフ・プルアップ(半・懸垂)を7回、7回、4回。それからハンドスタンド・プッシュアップ(逆立ちして腕立て)の超不完全なものを2回。ハンドスタンド・プッシュアップは今日できるようになっていることに気づいたもので、気づいた瞬間「わ!」となった。そんなわけで筋トレは大変に楽しい。

読書

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか

文化左翼的な戯言への徹底論駁、という感じの本。面白いんだけど、そもそもが不毛な連中への批判なので疲れるのも事実。ま、集合行為の問題を、個人の倫理・意志の問題へと還元するのは、別に文化左翼に限らず普通の人にある幻想でもあるし、たまにはこういう「批判」に付き合ってみるのも悪くはない。でも、疲れる。

ヒースなら『資本主義が嫌いな人のための経済学』の方が自分は好きだな。『啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために』は未読。

コード

今日は書かなかった。