読書、コード、トレーニング(10)

仕事

さて、今の職場(バイト)をずっと続けるわけにも行かないし、今後どうしようかなと思う。どうやっても最低賃金に労働時間を書けた給与以上には、あまり、なりそうにない。要は、今の給与で無期雇用になるのがせいぜい、といったところ。

アホみたいに働いてみるのも一つかなとか、思わないでもない。14時間労働とか。今の職場にいる「宅配」の人みたいな感じで。絶対的に地雷なんだけど、その地雷を一度、踏んでみたいという気持ちが、ある。

レーニン

  • 逆立ち:40秒
  • ネック・カール:15、10
  • サポーティッド・スクワット:28
  • ショート・ブリッジ:30、30

「サポーティッド・スクワット」は支えに掴まった状態でのスクワットのこと。本当は普通のスクワットをしたいのだけれど、アキレス腱の若干の違和感(ピクピクする)があるので。

読書

#リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか

#リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか

p.155 まで。『逞しきリベラリストとその批判者たち―井上達夫の法哲学』の中の対談で大屋雄裕さんが以下のようなことを、言っていたのを、思い出した。

なぜアメリカにおいてリパブリカニズムが必要かというと、共同体としての国家の存在が自明ではないからというのが大きいと思います。つまりあれは人工国家であって、特にその発足時点であった連邦の創成期には、主権を持っているのは州であって、都合が悪くなったら連邦から離脱してしまうのだという議論が有力にあったわけです。つまり、個人を基礎としてそのコミットメントによって社会を組み立てようとする理念があったときに、なぜわれわれはこのグループのなかにとどまらなければならないのかという問いかけが必ず浮かんでくる。アメリカの文脈でいうとコミュニタリアニズムとかリパブリカニズムがそれに対するひとつの答えであって、共通の企て(common enterprise)というものがわれわれにはあるのだと答える。それにコミットすることは市民的義務なのだと言うことによって、そこを乗り切ろうとしている。逆に言うとそういうコミットメントなど想定しなくともわれわれが共同体の一員なのは必然なのだと考える社会においては、リパブリカニズム的なものの必要性は浮かんでこない

私は法整備支援の関係でしばしば発展途上国を見るわけですが、そういった国々との比較をしたときに日本社会の特徴としていちばん強く感じられるのは、この共同体の存在というものに対する絶対的な確信です。つまり日本という国があってそこには日本人が住んでいて日本語をしゃべっているのだということは、自明の前提だとみんな思っている。われわれは国を割ってはいけないのだという議論の反論する必要性を、そもそも感じていない。それがやはりある種の呪縛として漂っている気がする。(pp.260-1)