2019-09-05

母が買ってきたサラダを皿に取り分けようとする。が、皿でなく傍にあった氷と水の入ったティーカップに黙々とサラダを突っ込んでいく。満杯になって気づく。これは、不思議なことだ。それは一般的な不注意の範疇ではないし、その種のバグの経験が私にはない。だから、内的にそれがどういうことなのか、推測も届かない。

何度か書いてるけど、母のその種のバグというか衰えに対して、さしたる感情も思考もないのがいつも不自然で、現実感がない。こんなふうに自由度を失くしてって、ある日歩行器でないと歩行できなくなってもやはり、言葉も感情も不在のままなのではなかろうか、と。


死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録

死に魅入られた人びと―ソ連崩壊と自殺者の記録

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ3冊目。どの本もあまりに生々しく、気軽に引用したりする気になれないし、誰かに書いたり話したりしたいという気持ちにもならない。それは、アレクシエーヴィチの本の強烈な欠点だと思う。他人と軽々しく共有するにはあまりに、という点。

でも1つ、引用しようか。私はこれは散文として完璧だと、思った。他にどこで読めるだろう、こんなもの。最後の一言の鮮やかさ。

よそ者がうろついてるよ。なんの用だい。男が自分ちのきゅうり畑で燃えてた。頭からアセトンをかぶって、マッチで火をつけてな。さくらんぼの木のしたで。黄色い頭をして倒れてた。よそ者めが、なんの用だい。だれもかれも死をみたがるもんだ。あたしがまだ若かったころ、村にじいさんがいて、子どもが死んでいくのを見るのが好きだった。狂っちゃいない。頭はまともだし、妻子もいて、教会に通ってた。じいさんは長生きをした。