2019-12-27

訓練の最終日。行きの電車で『日常世界を哲学する』という本を読んでいたら、ふと、関係のないことを思った。私は自然言語で文章を書くことに憧れがあったのだけれど、それはムリなのだ、と。

今回、訓練校でコードを書いて、稚拙でも一つの作品を組み上げられたのは、その論理的辻褄を問い合わせられるインタプリタコンパイラがあったからだ。また、それを通っても期待する挙動を示さなければ間違っている、と判別できる「期待」が予めあったからでもある。コードを書くとき、私は間違いを修正し、改善し、少しずつ現実的に進んでいくことができる。学んでいける。

でも、私が雑然と自然言語で何かを書く際、その論理的辻褄を外部に問い合わせようとはしない。それに期待するような「挙動」もない。自己満足しかないから、そこで私は何も間違えない。間違えないからその修正も改善もない。何も学ばず、成長もしない。もちろん、それはそれで良いとは言える。でも、書くことに憧れのあった「文章」って、そういうのじゃないよな。

今回、訓練校で書いたコードは稚拙で、結局の所このコースの全体的に見ても大したものにはならなかった。でも、書きたかった「文章」に、ほんの少しでも似てるのは、私が日常的に書いたり書かなかったりしている戯言でなく、今回のコードの方だった。